嬉しい出来事

先日、御朱印を頂くために高椅神社を再訪した。
以前にメールにてご連絡を入れていたので、
その時教えていただいたとおりお電話をして宮司さんにおいでいただいた。

宮司さんはお忙しいところおよびたてしたにもかかわらず、
私のような礼儀知らずの若僧(といってももう若くも無いのだが)にも、
とても親切にしてくださり、
わざわざ拝殿に上げていただき、御朱印を下さっただけでなく
様々なお話をしてくださった。

それどころか、ご本人が執筆に携わった
式内社に関するご本を贈って下さるとまで言っていただいた。
本当に感謝することしきりである。

この場を借りてお礼を申し上げます。
突然押しかけておよびたてしたにも関わらず、
いろいろとご親切に対応していただきありがとうございました。

というわけで、宮司さんのお話や頂いたしおりをもとに、
高椅神社に関する記事に大幅に加筆をした。

藤岡大前神社

大前神社
所在地:栃木県藤岡町
主祭神:大己貴命


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延喜式にも掲載されている式内社。創建は不詳。
平将門の乱の際に村中ことごとく兵火に遭い、社殿も焼失したが間もなく再建された。
ところが室町時代に幾度も火災に遭い、その後社運を喪失してしまう。
1591年、家康の江戸入府に伴い社殿を再建、
1622年には古河領主永井直勝により社領が寄進され、崇敬を集めるようになる。
もともとの社殿は現在の北方400mの地にあり、現在の場所へは明治12年に移転された。

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写真は一の鳥居。石製の明神鳥居。
足元には方形の台座があり、額束には神額が掛かっているものの文字は無い。

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こちらが二の鳥居。木製朱塗りの明神鳥居。
足元には二段になった円形の礎石。

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そして三の鳥居。石製の明神鳥居。
一の鳥居と同様神額があるが、何も書かれていない。



【参拝案内】(車の場合)
東京方面から来る場合、4号から345号に入り、三国橋を渡る。
その後、道なりに県道9号、11号と乗る。
渡良瀬川を渡ると左手に小さな「大前神社」の看板があるのでそこを左折。
東武日光線の踏切を渡ると、再び看板があるので左折。
道なりに進むと本殿裏の空きスペースに出る。
3台ほど駐車スペースがあるので、そこに停められる。

明神系鳥居 その3

今回は明神系鳥居の3回目。
基準となる明神鳥居と比べるとやや個性的な特徴をもつ鳥居を紹介したい。

まずは笠木の反り増しが大きく、島木と貫の間も広め、
額束の無い鳥居が宇佐鳥居(代表的神社:宇佐神宮)である。

次に、柱が笠木や貫に比べて非常に太く、
笠木の反り増しが両端部のみ跳ね上がるようになっており、
全体的に直線的なのが筥崎鳥居(代表的神社:筥崎神宮)である。
このタイプの鳥居は佐賀を中心に見受けられることから肥前鳥居とも呼ばれる。

また藁座のある明神鳥居の笠木の上に、合掌作りの装飾板が付いたのが
山王鳥居(代表的神社:日枝大社)である。
天台宗の影響の強い山王一実神道の神社に見られる鳥居である。

この装飾板が島木と貫の間にあるのが奴禰(ぬね)鳥居(代表的神社:錦天満宮)である。

冠稲荷神社

冠稲荷神社
所在地:群馬県太田市
主祭神:宇迦之御魂大神


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伏見稲荷、豊川稲荷などと共に、日本七稲荷の一つに数えられる神社。
創建は未詳だが、宿窪明神という名で、
上野国神名帳(延喜式神名帳ではない)にも記載される古社である。

1125年に、八幡太郎源義家の次子で、足利・新田両氏の開祖に当たる源義国が、
館の丑寅にあたるこの神社を鬼門鎮護の霊場とし、
源氏一門守護の氏神として祀った。

1174年には、京から奥州へ下向する途中の源義経が立ち寄り、
義国公ゆかりの社と知り、冠(烏帽子)の中に勧請してきた伏見稲荷の分霊を祀った。
この故事により「冠稲荷」として崇敬を集めるようになった。

南朝の忠臣、新田義貞もこの神社に参拝し、
愛用の兜に「稲荷大明神」の文字を刻んでいたという。

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この神社は四方位に鳥居があるのだが、これは最も大きい甲鳥居。
高さは12.5m、幅は18mある。
朱塗りの稲荷鳥居。額束には「冠稲荷神社」の神額がかかっている。

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これは甲鳥居の横にある東鳥居。
境内と隣の結婚式場の間にある。
撮影しようとしたところに式場のバスが来てしまい、
横からの撮影になってしまった。
こちらも朱塗りの稲荷鳥居。

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これは辰巳鳥居。
石製の明神鳥居。台輪が無く、足元に亀腹がある。
額束には「正一位冠稲荷神社」の神額がかかっている。

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これが戌亥鳥居。
朱塗りの稲荷鳥居。額束には同じように神額がかかっている。

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これは拝殿と南鳥居の間にある二の鳥居。
石製の稲荷鳥居だが、柱の転びが小さく真っ直ぐなのが特徴的。

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そしてこれが南鳥居。朱塗りの稲荷鳥居。

この神社には他にも摂社・末社の鳥居がいくつかある。



聖天宮実咲稲荷
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白狐社神馬供養碑
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だが、見たことの無い鳥居が多いことに驚きである。
島木が無いから神明系だと思うのだが、
転びが付いて貫が柱から突出している鳥居は見たことが無い。
あえて命名すれば「冠稲荷末社系鳥居」だろうか?



【参拝案内】(車の場合)
国道354号を館林インター方面から来た場合、牛沢の交差点で右折、
次の福沢の交差点で左折すると、左手に甲鳥居が見えてくる。
甲鳥居の前にも止められるし、その手前で左折すれば辰巳鳥居前のもっと大きな駐車場に出る。

歴史読本

現在発売中の「歴史読本」7月号にて、
以前ここでも紹介した小山市内にある高椅神社、安房神社、胸形神社、網戸神社に関する記事が掲載されている。

記事があるのは「古代技芸神の故地を往く」というコーナー。
7回目となる今号では結城を中心とした忌部氏の織物技術の故地を巡っている。

このブログではカバーし切れなかった情報が多々あるので、
興味のある方はご覧になってみてはいかがだろうか?

24日には来月号が発売してしまうのでお早めに。

明神系鳥居 その2

今回は基本となる明神鳥居とは少し差異のあるタイプを紹介したい。

何度も繰り返しになるが、鳥居の種類などは峻別しようとすれば、
それこそ鳥居ごとに異なるといっても過言ではないほど多種多様である。
あくまでもここで紹介しているのは似ているようなタイプを、
一まとめに大別したものに過ぎない。
その点をご理解の上読み進んでいただきたい。
つまり何を言いたいかというと、少々間違っていたとしても大目に見てね。

まずは明神鳥居と違い、反り増しが少なく笠木が直線の鳥居。
このタイプの鳥居は笠木と島木の切り口により二種類に分類される。

切り口が真っ直ぐ垂直に切り落とされているのが「春日鳥居」(代表的神社:春日大社)である。

それと違い、切り口が斜めになっているのが「八幡鳥居」である。

宮城野八幡宮小山須賀神社
八幡鳥居1八幡鳥居2


中には館林の富士嶽神社の鳥居のように片方の切り口は垂直、片方は斜めという変り種もある。

次に明神鳥居と違い、柱が四角形なのが「住吉鳥居」(代表的神社:住吉大社)である。
四角形の柱というのは非常に珍しく、ここだけと聞いたことある。

さらに、明神鳥居の足元に稚児柱と呼ばれる4本の補助柱が付属したのが
両部鳥居」(代表的神社:厳島神社)である。

八幡宮・香取神社高鳥天満宮
両部鳥居1両部鳥居2


明神系はどれも神仏習合色が強い神社に多くみうけられるが、
この両部鳥居は禅宗の影響を受けていると何かの資料で目にしたことがある。

新田神社

新田神社
所在地:群馬県太田市
主祭神:新田義貞公


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太田市を代表する史跡、金山城本丸跡に鎮座する神社。
創建は明治8(1875)年。

金山城は以前紹介した唐沢山城などと共に関東の七名城に数えられる中世の山城であり、
古くは「新田山」とも呼ばれていた。
1469年に当時新田本宗家をしのぐ勢力を持っていた、
一族の岩松家純が家臣の横瀬国繁に命じて築城させたが、
国繁は実権を岩松家から奪取。実質的城主に納まってしまう。
1565年頃には由良氏と改名し戦国大名の地位を得て、
最盛期には東上野一帯を制圧し、武田・上杉・小田原北条などと攻防を繰り返すが、
金山城は難攻不落を誇った。

だが、1584年に幽閉されていた金山・館林両城主の解放を条件に、
小田原北条氏へ引き渡されることになった。
その後秀吉の小田原城攻略に伴い、金山城は廃城されることになった。

城は本丸のある実城・西城・北城の3エリアに分かれている。

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写真は西城出城見附跡にある金山浅間神社。
石製の靖国系鳥居。足元には亀腹と礎石が確認できる。

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こちらは新田神社の一の鳥居。
石製の靖国鳥居。礎石は二段になっている。

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そして二の鳥居。
石製靖国系鳥居。礎石は一段のみ。

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こちらは末社の稲荷神社の鳥居。
二基の奉納鳥居の後ろに石製の靖国系鳥居がある。
足元には亀腹と礎石がある。

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その稲荷神社の一の鳥居。
半ば朽ちかけた朱塗りの木製鳥居。

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眺望が自慢の山城だけあって、眺めは抜群である。
物見櫓跡にある展望台からはこのような素晴らしい景色を眺めることが出来る。



【参拝案内】(車の場合)
館林方面から来た場合県道2号の本町交差点を右折(伊勢崎方面からの場合は左折)、
道沿いにどんどん進み、山道に入っていくと
左手に「金山城跡入り口」という看板が出るのでそこを左折、
峠道をくねくねと登っていくと山頂近くのモータープールに出る。
そこに車を止めて金山浅間神社までは徒歩約15分、新田神社までは徒歩約30分弱。
新田神社へは急坂道・なだらか道があるが、急坂道のほうが眺望は素晴らしく、
歴史的遺構物が次々と登場するのでおすすめ。それほど道もきつくは無い。

明神系鳥居 その1

4ヶ月ほど間が開いてしまったが、
鳥居鑑賞の基礎知識となる鳥居の種類を解説を続けようと思う。

今回からは笠木の下に島木が付属した明神系鳥居の第1回。

だが、何度も書くように神社建築には、
神仏習合時代の影響が大きく関わっており、例外も非常に多い。
唯一の「正解」といえるようなものはない。
この鳥居の分類にしても、後世の人間(それこそ根岸とか)が、
後付で分類したものであり、バリエーションも非常に豊富である。
ここで紹介している特徴はあくまでも目安程度にお考え頂きたい。

まずは最も目にするといっても過言ではない「明神鳥居」。
これが一応スタンダードになるのでこのタイプから解説したい。

雷電神社二の鳥居雀神社一の鳥居
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反り増しのついた笠木・島木にやや転びのついた柱。
足元には亀腹がある場合が多い。
そして島木と貫の間には額束がつけられ、
社名や神名の書かれた神額が掛かっていることもある。

この「明神鳥居」に台輪が取り付けられているのが、
稲荷鳥居」(台輪鳥居)である。

神田神社一二の鳥居稲荷神社
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特に呼称の呼び分けはされていないが、稲荷神社の場合は「稲荷鳥居」、
そうでない神社の場合は「台輪鳥居」と呼ぶことが多いようである。

また、明神鳥居の貫が柱の部分で終わっているタイプの鳥居が、
中山鳥居」(代表的神社:中山神社)である。

高山神社

高山神社
所在地:群馬県太田市
主祭神:高山彦九郎


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太田駅前の天神山中腹にある神社。
祭神の高山彦九郎は現在の太田市の出身で、
林子平・蒲生君平とともに「寛政の三奇人」と称された人物。
勤皇思想の持ち主で幕末の勤皇志士に大きな影響を与えたことで知られる。

生涯を旅に過ごし様々な階層の人々と交流、
その様子を地域の歴史・地誌・習俗・民情などとともに克明な日記に記録している。

18で初めて京に赴いた際に三条大橋で臥して宮城を遙拝した話は有名で、
現在も三条大橋の畔には正座をして遙拝する銅像が建てられている。

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写真は参道を少し登ったところにある一の鳥居。
足元に礎石のある石製の靖国系鳥居。

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こちらは参道を登りきったところにある二の鳥居。
同じく礎石のついた石製靖国系鳥居。

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こちらは裏参道の鳥居。
石製の神明鳥居。

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なおこの裏参道は整備されておらずこのような山道になっているので注意が必要である。



【参拝案内】(車の場合)
館林方面から来た場合県道2号の本町交差点を右折(伊勢崎方面からの場合は左折)、
しばらく行くと右手に「高山神社」の小さな板碑があるのでそこを右折。
裏参道の鳥居前に突き当たるので右折。
一方通行を道なりに進むと山を登り一の鳥居前の空きスペースに出る。

上野五條天神社

五條天神社
所在地:東京都台東区
主祭神:大己貴命、少彦名命、菅原道真公

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上野恩賜公園内に花園稲荷神社と隣接して鎮座する。
創建は景行天皇の御世。日本武尊が東征の折りに上野忍が岡に通りかかり、
両柱の神の加護を受けたことに感謝して創建されたと伝わる。
1641年には菅原道真公を配祀し、下谷天満宮とも言われた。

この神社は創建以来、様々な場所に遷座されたが、
昭和3年に今の場所に鎮座することになった。

また日本橋本町にある薬事協会ビルの屋上には、
この神社の分霊が祀られ
毎年十月十七日に薬業関係者により盛大なお祭りが行われている。

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これが忍坂に面した鳥居。社殿に正対しているこちらが表参道なのだろうか?
石製の靖国系鳥居。

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こちらは動物園通りに面した鳥居。
同じく石製の靖国系鳥居。

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社殿前には青銅製の狛犬がある。
少し狼にもにているような印象を受ける。



【参拝案内】(電車の場合)
上野駅公園口から徒歩5分ほど。

花園稲荷神社

花園稲荷神社
所在地:東京都台東区
主祭神:倉稲魂命

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上野恩賜公園内にある神社。新宿の花園神社とは別物。
創建は不明。
元々穴稲荷(巌窟にあるのでこう呼ばれた。正式には忍岡稲荷)として崇敬を集めた神社。
1654年には家康の懐刀南光坊天海大僧正の弟子である晃海僧正が、
廃絶していた社を再建して上野の守護神とした。
だが、1868年に彰義隊と官軍の戦いが上野で起こると、この穴稲荷は最後の激戦地となる。
明治6(1873)年に篤志家により社殿が再興され、名も花園稲荷神社と改名して今に至る。

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写真は上野公園大通りに面した表参道一の鳥居。
石製の明神鳥居。
ここから氏子の奉納した鳥居がずらりと続く。

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こちらが二の鳥居。写真には写っていないが、足元に礎石のある靖国系。

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このような感じで奉納鳥居のトンネルができている。

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こちらが三の鳥居。石製の明神鳥居。
足元には二段の礎石と小さな亀腹が確認できる。

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こちらは忍坂から入る脇参道の一の鳥居。
脇参道といってもこちらのほうが社殿には正対している。
足元に礎石のある石製の靖国系。

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脇参道のニの鳥居。石製の明神鳥居。
足元の礎石が特徴的。

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二の鳥居と並んで立つ三の鳥居。
足元に二段の礎石がある石製の靖国系。

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これは一の鳥居を過ぎたところにある狛犬。
稲荷神社は狛犬が神使の狐になっているところが多いのだが、
これは狐とも狛犬とも区別がつかない不思議な生物。
オリエンタルな雰囲気が漂う。

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こちらは穴稲荷の鳥居。この奥の暗がりに穴稲荷の社がある。
この社は上野寛永寺創建時に、開発により住処を失った忍岡の狐を憐れんで、
天海大僧正が建てたものと伝わる。
二基の奉納鳥居の後ろに石製の靖国系鳥居がある。



【参拝案内】(電車の場合)
上野駅公園口から徒歩5分ほど。