佐野星宮神社
星宮神社
所在地:栃木県佐野市
主祭神:迩々杵命(ニニギノミコト)

JR両毛線佐野駅そばの小高い丘の上にある神社。
神仏習合の時代には虚空像菩薩を合祀し星宮慈照大明神と号していた。
創建は久安年中(1145〜1151)と伝わる。
本殿のあるモッコ塚はもともと円墳だったものに、
慶長年間(1596〜1615)に佐野城築城の際に出た古城館の土を盛ったものと伝わる。
その後1683年には佐野領主であった井伊掃部頭藤原直澄の遺金や奉納金、
合わせて350両をもって老朽化し破損した社殿を改築して今に至る。
この改築の際に日本最古の算額が奉納されている。
この算額は残念なことに昭和50(1975)年の火災で焼失してしまっている。
またこの神社の氏子にはウナギを食べないという伝説が伝わる。
これは祭神のニニギノミコトが華美を慎み、質素倹約に奨めたからと紹介されているが、
「ウナギ」と「ニニギ」の発音が似通っているからではないかとも思われる。

写真はモッコ塚の真下にある鳥居。
青銅製の明神鳥居で、足元には藁座が巻いてある。
柱の直上に当たる島木には○がついている。
この神社のご神紋は九曜なのでその凹凸が無くなってしまったものかもしれない。
この鳥居は1735年に天明宿(現在の佐野駅周辺)の氏子が奉納したものであり、
現在佐野市の文化財に指定されている。

こちらは青銅鳥居の隣にある境内末社、高札稲荷神社の鳥居。
石製の靖国鳥居で、足元には二段になった方形の台石がある。

こちらは拝殿の右にある境内末社、浅間神社の鳥居。
このトタンの部分が雨よけなのか、それとも笠木のつもりなのか判断に苦しむ。
雨除けならば宗忠鳥居だが、笠木なら八幡鳥居になる。
ただ切り口が斜めなのか直線なのかも微妙なところなのでさらに判断に苦しむ。
所在地:栃木県佐野市
主祭神:迩々杵命(ニニギノミコト)

JR両毛線佐野駅そばの小高い丘の上にある神社。
神仏習合の時代には虚空像菩薩を合祀し星宮慈照大明神と号していた。
創建は久安年中(1145〜1151)と伝わる。
本殿のあるモッコ塚はもともと円墳だったものに、
慶長年間(1596〜1615)に佐野城築城の際に出た古城館の土を盛ったものと伝わる。
その後1683年には佐野領主であった井伊掃部頭藤原直澄の遺金や奉納金、
合わせて350両をもって老朽化し破損した社殿を改築して今に至る。
この改築の際に日本最古の算額が奉納されている。
この算額は残念なことに昭和50(1975)年の火災で焼失してしまっている。
またこの神社の氏子にはウナギを食べないという伝説が伝わる。
これは祭神のニニギノミコトが華美を慎み、質素倹約に奨めたからと紹介されているが、
「ウナギ」と「ニニギ」の発音が似通っているからではないかとも思われる。

写真はモッコ塚の真下にある鳥居。
青銅製の明神鳥居で、足元には藁座が巻いてある。
柱の直上に当たる島木には○がついている。
この神社のご神紋は九曜なのでその凹凸が無くなってしまったものかもしれない。
この鳥居は1735年に天明宿(現在の佐野駅周辺)の氏子が奉納したものであり、
現在佐野市の文化財に指定されている。

こちらは青銅鳥居の隣にある境内末社、高札稲荷神社の鳥居。
石製の靖国鳥居で、足元には二段になった方形の台石がある。

こちらは拝殿の右にある境内末社、浅間神社の鳥居。
このトタンの部分が雨よけなのか、それとも笠木のつもりなのか判断に苦しむ。
雨除けならば宗忠鳥居だが、笠木なら八幡鳥居になる。
ただ切り口が斜めなのか直線なのかも微妙なところなのでさらに判断に苦しむ。
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